食戟のソーマから考える教育論
食戟のソーマという漫画を知っているだろうか?
主人公の創真が遠月学園という凄腕の料理人が集まる高校で、料理の腕を競争し合うグルメ漫画である。
話自体は王道であるが、絵がうまい。そしてエロい笑 出てくる女の子たちが皆可愛くて魅力がある。そこもヒットの一因ではないかと思う。
さて、最新巻の14巻では創真が四宮小次郎というフランスで賞をもらった遠月学園のOBの所でスタジエール(インターンみたいな感じ)をすることになる。
新しく日本で開くことになる店はプレオープンであるにも関わらず、人がたくさん来て忙しい。創真は定食屋出身のため、フランス料理のコースは手馴れていなく数々の失敗をしてしまう(王道だ)。
ただ、そこでへこたれることはなく最終的には料理長と対等になる程の腕になる!(王道すぎるw)
そしてスタジエール最終日には、試作料理を作り店のメニューに載るレベルのものであった。
ただ、ここで気になるセリフがあった。
この最終日には遠月学園の先生やOGが来ていた。この先生が言うには、スタジエールには2種類の意味があるという。
「一つ目は、生徒が店に何を与えられるか、二つ目は生徒が店から何を奪えるか」
非常に示唆的な言葉である。
今の学校制度下での教育では、生徒が先生から奪うということはほとんどない。教えっぱなしである。
まぁ学校の勉強は教科書読むだけで、自分でやれば5分で済むからそもそも奪う必要もクソもないのだがw
ただ、ここで大事なのは「技術、工夫を奪う」ということが、文明の進歩に繋がったという話もある。面白い記事を紹介しよう。
「教えない」究極の教育法
~生物も文化も、進化は不完全さから
要約すると、ピグミーなどの狩猟民は何か子供や後輩たちが何かをやっていても直接は"教えない"。それが逆に、イノベーションを起こし予期していなかった行動を発見、発明して文化が新しい方向へ進むというものである。
確かに教えすぎてしまうと、その通りにやるしかなく、自分で"考える"という作業を省略してしまう。
学校も教えすぎている気がする。隣で先輩とか親、先生が面白そうに勉強しているのを見るのが一番効果的な気がする。
そういえば紫式部があれほどの漢文が書けたのは、周りの人たち(お兄さんとか)が漢文を使っているのを小さい頃から隣で見ていたからだと日下公人が言っていた。確かに、教えてもらったというよりかは、奪ったという感じなのかもしれない。
教育に大事なのは"奪う"というキーワードであると思った。