中学1年生の英語教科書
James:Hello.
Taro:Hello. What can you do??
James:I can play piano.
Taro: Oh, that's great!!
この文章を見て何かピンと来た方はいるだろうか?そう、Jamesのピアノの腕前はどれくらいのものなのだろうか、ピアノコンクールは日本いや世界で何番目?また、Taroのクラリネットの音は本当に全て出ないのか?ファぐらいは出るんじゃないか?
こんなことを考えてしまったのは僕だけじゃないはず。(play "the" pianoだろうと思ったあなた、ここから下は読まなくてもいいのかもしれません)
要約すると英語の教科書は実践に役立たないと思われつつ、イジれば最高に面白くなる。
そもそも英語の教科書はいたって優等生なものである。正しさは大事だが人を動かすことはできない。遊び心をもっていかにふざけるか、生徒に読んでもらうかが重要である。
どうしたら中学生の英語の授業が面白くなるのか少し考察してみる。
実際に面白くしてみよう
先述した通り、Taroが日本随一のクラリネット奏者である確率は0ではない。それを加味してこの後に例文を書き加えてみよう。
James:Hello.
Taro:Hello. What can you do??
James:I can play piano.
Taro: Oh, that's great!!
James:By the way, where is your Clarinet??
Taro: My clarinet is broken. So, I am going to Jukai near from Mt.Fuji.
James: Oh, it's interesting!Me too!!
また製作者の意見を入れるというのも1つの手だ。
James:Hello.
Taro:Hello. What can you do??
James:I can play piano.
製作者(神の声):the"が抜けてるwワロタww
Taro: Oh, that's great!!
James:By the way, where is your Clarinet??
Taro: My clarinet is broken. So, I am going to Jukai near from Mt.Fuji.
James: Oh, it's interesting!Me too!!
謎の人物を入れるというのも良い。
James:Hello.
Taro:Hello. What can you do??
James:I can play piano.
製作者(神の声):the"が抜けてるwワロタww
Taro: oh, that's great!!
James:By the way, where is your Clarinet??
Taro: My clarinet is broken. So, I am going to Jukai near from Mt.Fuji.
James: Oh, it's interesting!Me too!!
Taro:Temeeee, nametennmoka!Toukyouwannikonkuri-todukenishite, shizumeteyaruyo!!
James:ええぇ~なんで太郎君は怒ってるの?分からないよう次郎君
Jiro:Bonjor
まぁこんなよく分からない教科書を正規で作るのかといったら辞めた方がいい(これ見直してみると面白いかどうか不明になってきた。困った。)が、副読本で作ったりするのはありだと思う。
ではこういうことが何故出来ないのかというと、偏に文部科学省の学習指導要領が原因だと考えられる。これによって先生たちが教えたいことを教えることが出来ないのだと思う。そもそも使える教科書は教科書検定で認可されたものだけで認可するまでにも時間がかかる。
僕的には学習指導要領は無くして高校を卒業する前ぐらいに、学力認定試験みたいなものを導入してきちんとこれまでの理解を出来ているかどうかを判定すればいい。それまでの過程は全て先生の裁量に任せる。そうした方が先生も教え甲斐があることだろう。そして上記の教科書を作る、ようなことを授業中にやってもいいと思う。面白くて、生徒が興味を持ってるなら何でもありだ。
そういえば英語で思い出したが、西洋音楽から見たニッポン-俳句は4・4・4-という本のエピローグに印象的なことがいくつか書いてあったので紹介したいと思う。
あなたはどぶろっくが好きですか?と聞かれたときの答えとしては(どぶろっくを知っていると仮定しよう。ちなみにどぶろっくは、そんなの関係ねぇーと海パン姿で踊る芸人である)
はい、好きです/いいえ、好きではないです
と日本語ではなる。では英語の場合ではどうなるのかと言うと、
Do you like doburokku?
Yes, I do/No, I don't
となる。あなたはどぶろっくのことが好きじゃないのですか?と聞かれたときはどうなるだろうか?(ちなむとどぶろっくは、ギターを弾く芸人のことだ。さっきは嘘ついてごめんなさい)日本語だと
はい、好きではないです/いいえ、好きです
となり、英語では
No, I don't /Yes, I do
となる。つまり英語では何と聞かれようと、相手の質問の趣旨に関係なく、本人がすることにはイエス、本人がしないことにはノー、となるのである。自分の行動に対しイエスかノーを述べているだけなのである。
逆に日本語では、相手の質問の趣旨に対しイエスかノーを突きつける。なので、いいえという言葉は相手を否定するので、軽々しく使うことはできないのだという。そのためNo=いいえ、と勘違いしている日本人は外国人に対してNoと言えない、日常生活や外交然り。
またfriendという言葉も、友達という言葉と違い情に厚いものではないという。
friendという言葉は、ただの知り合いだったり敵ではない無害な人という関係であったりするらしい。なので、昨日までfriendだったのに今日はfriendではなく、友情を裏切ったと憤慨することも、彼は考えを変えたぐらいで済むらしい。
日本を含んだ東洋と西洋の考えは著しく違っていると思う。それを説明できるような英語の教科書が良いかもしれない。